「別れ」と聞くと、悲しかったり、寂しいイメージがどうしてもでてきてしまう。
今までの人生で、大なり小なり、「別れ」のシーンを経験し、それは、まさしく、悲しかったり、寂しさに苛まれることになったのだが、沖縄で過ごした中での「別れ」は私に少し違う感覚を覚えさせてくれた。
村の屋外スピーカー。
いつもは朝や夕方をお知らせするメロディーが流れてくる。

甲子園の時期には、沖縄から出場する球児たちの健闘を流し、一丸となって応援、ファインプレーのときには、村のあちらこちらで拍手が届いた。
そんなスピーカーから時折、お別れのお知らせが入った。
「〇〇さん、天寿を全うされ―」
それは実に悲しい一報なのだが、
「そこのおばーだね、この前まで元気に歩いてたさー」
とご近所さんが言う。
思いをはせながら、最後の別れの時と会場に耳をすませる。
きっと他の場所で聞いた村の人たちもおのおのに、その方を思う時間となっているのだと感じた。
沖縄では、新聞にも「別れの知らせ」を掲載する文化があるそうで、近くの親族だけではない、島の遠方にいる友や、これまでにお付き合いのあった方にまでお知らせを届けられるようになっているそうだ。
「いちゃりばちょーでー」
ふいに思い出す。その方が生きていた証。最期までご縁を大切にされるスピリッツを感じた。
そして、
「天寿を全とう(まっとう)する」
なんて清々しいんだろう。
私はまだまだこの世を知りたいけれど、最期にはそんな人生の締めくくりでありたいと心で思うのだった。

毎年訪れる「別れ」の文化も、沖縄では一味も二味も違った。
2月のショッピングモールにずらりと並んでいたのは、さまざまなお菓子が連なる首飾り(レイ)だ。


卒業式には欠かせない祝いのアイテムとして聞いていたのだけれど、まさか、こんなに大々的に販売されているとは!

そして華やかだ。
スーパーに行けば、
「卒業式にはお母さん喜ぶレイを!☆」
と命名された、ジャガイモ、人参、玉ねぎが連なるレイが登場。その横にちょこんとカレーのルーが並び、青果コーナーの熱き想いが微笑ましかった。
「別れはスタート」という言葉もあるように、レイは別れに彩りを添えて、スタートを祝う気持ちが溢れていて、当時の私は沖縄の文化がますます好きになっていった。
あれから数年経つ。

今でもスピーカーからの知らせに想いをはせる姿はあるのだろうか?
まもなく3月のショッピングモールには、賑やかに「別れの準備」の光景があるのだろうか?
誰かを「想う時間」。
尊くて優しい時間。

ライター
パッチンくるり