幼い頃住んでいた家には、中二階(ちゅうにかい)という部屋があった。
玄関を入ると右手には二階へ上がる階段、左手にあるドアを開けると、短い階段の上に、中二階はあった。屋根裏部屋のような中二階からは、庭を近くから見下ろすことができて、入るとちょっとワクワクする特別な部屋だった。
大好きな祖父母が泊まりに来る時は、決まって、この中二階に寝ていた。
祖父母は、うちから電車で2時間くらいかかる横浜に住んでいたので、帰ってしまう時は、いつも半泣きになるくらい寂しがっていた。
深く温かい微笑みで、意識していない行動を「恵子は優しいね。」と褒めてくれて、中二階は、その温かい空気がたくさん詰まった場所のような気がしていた。
食事が終わって、少し手持ち無沙汰になると、祖父母の時間が始まる。大学の造船科の先生をしていた祖父は、古新聞や広告の紙を使って、カブトや鶴のおりがみを教えてくれた。最初は難しくて、祖父の動きをよく観察したけれど、次第に自分で折り方がわかるようになってからも、祖父は初めて教えるように丁寧にお手本を見せてくれた。
名前は「鶴松」だった祖父の分身を作るような気持ちで、何度も何度もそんな時間が繰り返された。
祖母は、よく、お布団で桃太郎のお話をしてくれた。
幼い時に、桃太郎がおばあさんに作ってもらう『きび団子』が上手く言えずに『きみ団子』と言っていた名残で、小学生になってからも「恵子や。きみ団子の話をしてあげようか?」と目配せをされると、普通の桃太郎の話よりもなぜか楽しい、おばあちゃんのきみ団子の話のために、畳んであったお布団をわざわざ敷いて、祖母の懐に落ち着いた。「どんぶらこ〜どんぶらこ〜」の声が、今でも思い出される。
今思うと、私が趣味で楽しんでいるおりがみや、ボランティアでやっている読み聞かせは、幼い頃の祖父母との時間と繋がっている気がする。
丁寧に、繰り返し、温かい対応をしてくれる安心感で私が出来上がり、そんな祖父母の揺るぎない存在に、敬意と感謝の気持ちをずっと感じている。
今日は、段々と祖父母の面影が強くなってきた母に、感謝の気持ちを伝えにいこう。
ライター
首里石鹸 白鳥恵子