「雪みたいだね。」

お花見を初めてする「うちなんちゅ(※沖縄出身の友)」はそう言っていた。
なるほど桜の薄桃色はピンクより白の方がちかく見えるのか。
沖縄ではもう寒緋桜が咲いたらしい。
春の知らせが南から伝わり気持ちも少し綻んでくる。そんな今日はこちらでも春一番が観測されていた。
太陽が一年じゅう光高くふりそそぐ沖縄では、その太陽でたくさんの花々や草木が赤、緑、黄色と鮮明に染まる。
対して私が育った京都は茶色ややえんじ色など、どの色も深みを帯びていて暮らしている頃は、それが”くすんで”見えて面白くないと感じていた。

大人になって住んだ東京は銀色や灰色、それに色んな人々がいて電車や首都高速がずっと鳴っている。

人にはそれぞれ、自分だけの『いろ(色)めがね』があるのかもしれない。
ここでいう『いろ(色)めがね』は、先入観という意味ではなく、世界をそれぞれの色で感じるためのレンズのようなものだ。
友人の「雪みたい」という表現が素敵で、そんなことを考えた。
亜熱帯地域で育った彼女の目はきっと世界がもっとビビットに見えていて、わたしのはもう少しセピアがかっていたり?
選ぶ洋服やメイクの色も自分で魅せてる自分と、他人が見ている自分が違ったりするのかな?
ある友人はカラー診断で思っていたのと全然違うタイプになってたな。
そして私は赤が似合うとよく言われる。
携帯のカメラ機能の彩度や明暗レベルを上げ下げするように、見える色は自分の中でも変化する。
それは天気のせいだったり、気分のせいだったり、あるいは年を重ねるごとに。
面白くない色も好きになることもある。
鮮明な色彩だけでなく町に潜むワンポイントの渋い色などに気づけたら嬉しくなる。
忙しくて目の前が近視のモノクロ状態になった時、私はよく隅田川沿いに座る。

時々流れてくる観光船や目の前を走る隅田川ランナーたちのシューズ。
たくさんの色を見て、その景色のなかの音を聴くと、こころが落ち着く。
今の自分の『いろ(色)めがね』を感じるようにただただ静かに座っている。
これから太陽が活躍する季節、鮮やかな色たちが待っている。
首里石鹸 池田まお