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首里散歩 Vol.403 感性と巡り合わせ

その日も、お気に入りのカフェで、ランチをしながら近況報告をしていた。
息子同士はクラスも一緒でしょっちゅう遊んでいる仲で、お互い両親の健康のことや訪れた場所のことなど、いつも話題は尽きない。

話は、親子で参加している野外活動の団体で先日訪れた金武町の観音寺から始まった。
火事で消失した後再建されて、沖縄戦の時には草木でカモフラージュして戦火を免れたというお寺で、敷地内に聳え立っていたフクギが樹齢推定350年だという。
以前、友達を案内した首里の大アカギと同じだねと、二人にしか通じない喜びを分かち合う。

何度もその歴史について見ていたら、失火によってお寺が焼失した年が偶然にも亡き父が生まれた1934年で、現在の観音寺に再建されたのが母の生まれた年の1942年だったと気づいたのだが、そんな親族しか感動しないエピソードにも、我が事のように驚いて喜んでくれた友達が、急に写真を覗き込んで驚いている。
友達が、毎年金武町に初詣に行っていると聞いていたお寺がまさにここだったのだ。

「なんだか気持ちの落ち着くお寺なの」
以前に言っていた言葉が思い出された。

戦火を免れて残った建物や木々には、「在る」ということは当たり前ではないという日常のありがたさをもらえて、「失せたもの」がたくさんあったのだろうという想像も駆り立てられる。
敷地内にひっそりとある鍾乳洞も、暗闇の中で長いこと刻まれてきた年月を厳かに感じられた。

話は、その後訪れたマングローブの林での生き物達のことやJAXAの展示のことにも移り行き、まるで今一緒に訪れているように、同じ感性で沖縄を受け取っている心地よさを感じた。

ランチの後、友達のお母様の快気祈願で、普天満宮に立ち寄った。
お参りをすると、ふと目に入った普天満宮洞穴の参拝受付。直後にスタートするという良きタイミングで、鍾乳洞の中にある御神体に少人数でお参りする機会に恵まれた。

この日の私たちの偶然が、まるで決まっていたことのように感じて、友達のお母様の快気祈願と共に、あらゆる巡り合わせへの感謝を心に唱えた。

ライター
首里石鹸 白鳥恵子