私の父は首里の出身であった。
戦中・戦後は別の地域に住んでいたようだが、幼いころの思い出は人生に大きく影響するようだ。
そんな父が年中行事の際に仏壇にお供えしたのが、「のまんじゅう」だ。

小さいころは洋菓子が食べたかったけれど、お供え物は決まって首里にある「ぎぼまんじゅう」の「のまんじゅう」。
父は、この月桃の葉の蒸した香りと首里伝統のまんじゅうで首里を懐かしんでいたのではないだろうか。
「のまんじゅう」は粒あんがぎっしりと詰まった饅頭で、真っ白な顔に赤く「の」と書かれている。
まんじゅう全体に月桃の香りがうつり、餡子の甘さと月桃の香りの両方が実に美味。
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首里には、のまんじゅうのほかにも、「山城まんじゅう」もある。
そのまんじゅうは「のまんじゅう」とは違い平たいまんじゅうで、月桃の香りはもちろん、モチモチした薄皮とそこから顔を覗かせるこしあんとが相まって美味。両方とも甲乙つけ難い。ちなみに私のきょうだいは4人だが2対2で好みが分かれている。

父が逝って十数年。今は父の思いは兄が受け継ぎ、お盆やシーミー(清明祭)には必ず「のまんじゅう」をお供えする。
兄の口癖は、
『親父は首里が好きだっただろ。のまんじゅうは親父にとって首里なんだよ。のまんじゅうを供えないと、怒って夢で俺が叱られるからなぁ。』
と笑う。
そういう私たちも実家に行ったときに、「のまんじゅう」がお供えされていないときっとさみしくなるだろう。
子どもの頃は餡子が苦手だったが、今では「のまんじゅう」や「山城まんじゅう」が大好物なのだ。
昔から受け継がれている食べ物には、美味しさ以外にも思い出が伴い、両方が相まってなくてはならないものになっていく。
私たちきょうだいは、父から「まんじゅうの味と香り」でふるさとを受け継いでいるのかもしれない。

住んだこともない父のふるさとを、これからも味と香りを味わいながら大切にしていきたい。

ライター
大城くいじなう