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首里散歩 Vol.315 育つ場所が違えば 当たり前も違うわけで

生まれも育ちも大阪の私。

沖縄に住んでいた頃に迎えた12月。
「冬」といっても、体感的にはポカポカした「秋」のようで、コスモスが元気に咲いていた。

月末、公民館で「そば打ち教室」に参加。
そこで気づいた。
(あっ、そうか。蕎麦じゃなくて、沖縄そばなのか)

子どもたちの「やりたい!」に、惜しみなく応えてくれる大人たち。ここでは「我が子」だけでなく、「子ども」という存在全体を見守る温かな眼差しがたくさんあった。

そんな温かな“そば”は、身体に染み入るし、なんともおいしかった。

おいしかったなぁ、本当に。

大晦日。
まさか半袖で過ごせるなんて、思いもしなかった。夜も薄手のパーカー1枚で十分。厚手の上着やダウンジャケットは、タンスケースの中で冬眠していた。

近くの衣料品売り場では、肩身が狭そうに厚手の上着が売られていたけれど、しばらくすると値札が半額以下になり、いつの間にかフェードアウトしていた。

「誰が買うのだろう?」
そんな疑問も、近所のおばさんのひと言で解決。
「関東に行くから上着を買ったよー」

そうか、沖縄の人たちにとっても「冬」は寒いものなのだ。
厚手の上着が売られる理由にも納得した。

そういえば、小学生の頃、
真冬でも年中、半袖半ズボンの同級生がいた。
雪が降りそうな寒さでも彼は変わらない。猛者だった。

みんなから英雄のように一目置かれていたけれど、本人は日常を通常運転で過ごし、何食わぬ顔をしていた。

自分の「当たり前」と、それぞれの「当たり前」。

・・・

日が暮れていく。

あれっ?
静かだ……なんて穏やかな夜なんだろう。

年が明ける前後は、いつも街がなんだかソワソワしていて、それが当たり前だと思っていたけれど、ここでは違った。

近所のお寺の除夜の鐘は聞こえず、氏神さまに初詣へ行く人の足音も特にない。むしろ、旧正月の方が賑やかだった気がする。

とても静かな大晦日。
私の知らなかった感覚がインプットされた。

・・・

これは、とある村のとある年越し。

ここ数年、時代も、自分自身も、いろいろなことが目まぐるしく変わった。
でも、変わらない人たちが、年を重ねながら穏やかにそこにいる。
そんな風景を願いながら思い出す。

・・・

町に出れば、大きな大きなシーサー。

ガツンと感じた。
やっぱり、お正月だったんだな、と。

ライター
パッチンくるり