師走とかクリスマスなどの言葉を目にして、今年ももう終わるのか・・・と驚いて、まるで自分の周りだけ蕾に包まれているような感覚がして数日が経ってしまった。
うちは父の海外駐在で転々としたり、祖父母達も近郊に住んでいたため、故郷と呼べるような場所がないけれど、その代わりに、色々な場所で関わった人たちへの郷愁に似た想いや繋がりがたくさん続いてきた。
沖縄に移住して11年が経ち、距離が離れている親族や知り合いも多いので、記憶といつもの日常で二つの道を進んでいるような、記憶は今も鮮度を持っているような感覚で過ごしているけれど。
ふと、懐かしい人達と再会したり、お世話になった方の訃報が届くと、二つの道が急に一つになり、浦島太郎のように、移りゆく時は早いことを思い知らされる。
先日、実家で、母が若い頃のアルバムを開いていて、若い頃の父と母が誰に似ているかという話題で、ロンドンに住む姉と東京に住む妹と盛り上がった。
父が亡き後、母が一人で住む沖縄の実家は、家族にとって小さな故郷で、小さい頃からの思い出や感覚がすぐに取り出せるような場所となっている。
年末年始と言えば、母の嫁入り道具の重箱に、母がその年できる範囲の手作りでお節を詰めてくれて、ゆっくり出汁をとったお雑煮を数日食べて過ごしてきた。
「あらいやだ!」
「あら!焦がしちゃった!」
そんな、母の様子をみんなで笑いながら見ていたけれど、出来上がったお料理はどれも美味しくて、母は面白いけれどなかなか追いつけない存在のまま今に至る。段々と年をとって、できる範囲が少なくなっても、母のとるお出汁のお雑煮は何にも変えられず、楽しみで仕方がない。
今年も、この沖縄の小さな故郷で大晦日を過ごした後、わが家で、猫たちを含めた家族で新しい年を迎えて、遠く離れたご縁の繋がっている人達の話でもしながら、かけがえのない日常を紡いでいきたいと思う。
皆さまも、記憶に残り続ける、良いお年をお過ごしください。
ライター
首里石鹸 白鳥恵子