旧友と息子の歩く姿を、少し離れて、追いかけている。
「池くん」と、旧姓由来のあだ名で私を呼ぶ友達。
沖縄に移住してすぐから、近所だった頃のように、ふらっと遊びに来ては、一緒に過ごした景色が浮かんでくる。
歴史ある小道を覗きながら、彼女との20年以上の記憶も流れ出す。
生き方は全く違うけれど、みんなに囲まれている割に、一人の時間を大切にしているところや、心地よさの独特なポイントや、楽しさ・素敵さを見つけ出すスイッチをたくさん持っていることとか、気の合うところから、自分らしさも思い出させてくれる人。
そのままでいーさー、ゆっくりでいーさー、失敗なんてあるよー、と、沖縄で満たされてきた温かさのような空気を持っている人。
息子も穏やかな笑顔を浮かべている。
一緒に沖縄を歩くと、同じ余韻で、景色を愛でられる。
そして、いつも、面白い記憶に残る人たちに出会う。
今回も、通りすがりのおじいが、岩に生えている野草を食べてみてと持ってきた。
塩味のある不思議な風味の草は、長寿の草という。
一房食べると20歳若返るというので、若返りを目論む私たちと生まれる前に戻ってしまう息子が、美味しい美味しいと食べると、今度は、また岩に生えているにがなを持ってきた。
普段なら嫌がりそうな息子も「これなら食べられる」「しに(とっても)美味しい」と、不意に沖縄弁も溢れると、売店のおばさんはおやっとした表情で、「知ってる?」と目配せをしながらにがなの料理の仕方を教えてくれて、おじいは息子を連れ立って岩場に消えていった。
売店のおばさんによると、おじいは近くに住む常連さんで、名前や年齢まで教えてくれて、友達と苦笑したところで、二人が戻ってきた。
よく、見知らぬ人に物怖じしていた記憶の影はなく、「おじいが、これ、育てなさいって」と、誇らしげ。
コロナ禍もあって、少し久しぶりだった友達との穏やかな時間も、息子の成長以外は何も変わらず続いている。
ここで出会ったおばさんとおじいとのつながりも、同じように、次につながっていくような気がする。
ライター
首里石鹸 白鳥恵子